第137章「ゲート」
AD2287年12月29日 サウス・ボストン
冷たい風が建物の隙間をすり抜ける。粉雪のような灰が地面に降り積もるなか、ネイトとジュリエットは廃墟と化したサウス・ボストンの一角に立っていた。
目的は、無線で拾った「ゲートの開閉音」の発信源。しかし、そこには──何もなかった。
舗装も崩れた地面、穴の空いたレンガ壁、壊れた配線、そして吹き抜ける静寂。地面には重機の跡もタイヤ痕もない。だが、ジュリエットはぴたりと立ち止まっていた。
「違和感がある。ここ……時間が“抜けて”る。」
「“抜けて”る?」ネイトが問い返す。
ジュリエットはしゃがみこみ、地面の一部を指差す。
「埃が積もってない。おそらく数時間前に何か“動いた”のに、痕跡だけが削除されてる。完全に“誰か”があとを消した。」
そのとき、背後から軽やかな足音。
「やれやれ、二人とも目が利くな。オレが来る前に、ここまで見抜くとは。」
声の主は、ボロ布をまとい、日焼けした顔にサングラスをかけた男だった。
ディーコン。
レールロードのエージェント。記録の改ざんと変装の達人。ネイトとはかつて行動を共にした仲だ。
「久しぶりだな、ネイト。」
ディーコンが軽口を叩きながら手を差し出す。
ネイトはそれを無言で握り返し、すぐにジュリエットへと紹介した。
「こっちはジュリエット・S・カークランド。頼れる“妹分”だ。」
「はじめまして。情報部門の人間?」
「ううん。好奇心で爆発しそうなだけよ。」
ジュリエットは笑みを浮かべながらも、視線はディーコンの背後──彼が来た“方向”を警戒していた。
「で、何があった?」ネイトが問う。
ディーコンは口元を歪めて、ある方向を指差した。
「……ここから3ブロック西に、“記録にない”サブルートがある。だが、入った者は誰も戻ってきてない。レールロードの内部でも、調査は“上から止められた”んだ。」
「上から?」ジュリエットが鋭く反応する。
「つまり、何者かが“見られたくない何か”をこの街の地下に隠してる。」
風が強くなり、廃墟の壁がきしんだ。
ネイトは静かに呟く。
「ショーン……いるのか、そこに……」
ディーコンの指示で、ネイト、ジュリエット、そして彼の3人は3ブロック西へ向かった。
道中、かつての商店街跡に積もった瓦礫の山を越えながら、ジュリエットがふと足を止めた。
「……ここ、空気が違う。」
彼女の言葉通り、ほんのわずかに金属の焦げた匂いとオゾンのような刺激臭が鼻をつく。廃墟の一角、崩れたコンクリートの奥に──不自然な継ぎ目があった。
「……地下ルートだな。入る準備を。」ディーコンがナイフを取り出し、古びたパネルを外す。
その背後──3人に気づかれぬ場所に、ひとりの女が立っていた。
薄暗い影に身を隠すようにして、しかしその目は鋭く輝いている。
ミディアムヘアにボルトスーツ型のジャケットを羽織り、黒いグローブに覆われた両手を静かに組んでいた。
その顔は──ノーラ・ヘイスティンクスによく似ていた。
だが、それはノーラではない。
彼女は、クラリッサ・アマリア・モラン。
静かに息を吐き、クラリッサは呟いた。
「“この道”を選ぶのね、ネイト……。逃げても、また私の前に現れる。」
その目は、怒りでも悲しみでもない、冷たい決意に満ちていた。
クラリッサは静かに背を向け、別の影へと消えていった。
その直後、ネイトたちは地下へのハッチを開き、真の“ゲート”へと足を踏み入れた──。
地下へと続く階段を静かに降りる3人。
ネイトは改造型T-65パワーアーマーの重い足取りを抑えるように慎重に進み、ジュリエットは背後を振り返りながらもディーコンの後ろにぴたりとついていく。
ディーコンが低く呟いた。
「……空間が歪んでる。ここ、何か“改変”された痕跡がある。」
「改変?」とジュリエット。
「誰かが……隠した。記録、出入口、あるいは“記憶”すらな。」
その時だった。ほんのわずかに金属が軋むような音が後方で響いた。
誰も気づかぬその先。
闇の中に──ひとつの影。
クラリッサ・アマリア・モラン。
彼女は距離を保ちながら、ネイトたちの後をゆっくりと、しかし確実に追っていた。
白衣の下に身につけているのは、かつてのノーラ・ヘイスティンクスと酷似したボルトスーツ型のレオタード。
黒い手袋に、光を吸い込むような視線。
「ネイト……あなたはまた“そこ”へ行くのね。
あたしが“ノーラ”でいられなかった場所へ。」
彼女の声は小さく、誰にも届かないほどの囁きだった。
だが、確実に執念があった。
クラリッサは目を細める──その奥に、ネイトの背中を見つめながら。
風が止み、サウス・ボストンの地下通路に静寂が訪れたその瞬間──
「動くな──!」
鋭い電子声が空間を切り裂いた。
レンガの壁を蹴破って飛び出してきたのは、X-02パワーアーマーに身を包んだスコーチ部隊の4名。
その背後に、エイクレヴ兵と思しき10名の兵士たちが一斉に銃口を向けていた。
14人の敵。
全員が戦闘態勢だった。
ネイトは軽く笑った。
「──14人か。わりといい数だ。」
その右腕に装着された、T-65オメガのプラズマ充電砲が唸りを上げてエネルギーを蓄えていく。
背後のジュリエットは、腰元から伸ばしたノーラ直伝のワイヤーブレードを指先でなぞり、目を伏せる。
「ネイト。あとで文句言わないでね。」
ディーコンはすでに前方に踏み込みながら、愛用のアサルトライフルとグレネードランチャーを両手に笑っていた。
「やあやあ、久しぶりに派手なバーベキューだな。こいつぁいい夜になるぜ!」
その瞬間──
ドゴォオオオオン!!!
ネイトのプラズマ砲が轟音とともに火を噴き、最前列のエイクレヴ兵が一瞬で蒸発。
ディーコンが投げたグレネードが壁を抉り、残骸が宙に舞う。
ジュリエットのワイヤーが、X-02の首元を一閃。重厚な金属が裂け、血と火花が飛び散る。
だがそのすべてを──
クラリッサ・アマリア・モランは、はるか後方の影に立ち、レールガンの照準を静かに合わせながら観察していた。
その目は冷えきっており、まるで誰の命にも価値を見出していないような無感情な光を宿していた。
「……この戦いの先に、ノーラが本当に“望んだ”ものはあったのかしらね。」
そのつぶやきは、誰にも聞かれることなく、銃声にかき消された。